キルケゴール『不安の概念』緒論のまとめ

キルケゴール『不安の概念』の読書メモ。緒論(イントロダクション部分)のまとめ。

  • この本では原罪の概念を念頭に置き、不安の概念を心理学的に取り扱い研究する
  • 罪は学問的に位置付けることができない概念である
    • 罪はどんな場所も持たない
    • 罪をある学問領域で取り扱うとその概念は歪められる
    • 罪は説教の対象である
    • 説教は今日では学者から蔑まれているがそれはソクラテスが推奨した対話術である
    • 「誤った仕方で才気走ろうとする人間だけが、罪を心理学的に取り扱いうる」
  • 心理学は主観的精神の学問である
  • 教義学は絶対的精神の学問である
  • 心理学は罪の現実的な可能性を解明する
  • 教義学は罪の理念的な可能性すなわち原罪を解明する
  • 心理学は教義学に奉仕している
  • 心理学の説明を教義学が手助けする
    • →心理学より(キリスト教の)教義学が偉い、なぜなら著者はキリスト教徒だから
  • 心理学的な説明の後に教義学に戻ってくることになる、と方向が示される

キルケゴールは仮名の作者として出した著作を別の仮名の作者として出した著作の中で紹介している。仮面を複数用意した上で、自己引用、自己言及をテクスト内で行う。

各学問の性格が暗黙に考えられているがその内容はよくわからない。とりあえず、不安を解明するための前提として原罪、罪については考察の対象とし、それに関わるのは心理学とキリスト教の教義学だと言っている。ただし、罪はどの学問領域でも扱えないのだと言っている。

ちょっと気になる箇所があった。「一般に思惟が実在性を持っているということは、一切の古代哲学ならびに中世哲学の前提であった。カントによってこの前提は疑わしいものとせられた。」とある。カントの人生はだいたい18世紀で、キルケゴールは19世紀なので、キルケゴールはカントの哲学を知っている。思惟が実在性をもつとはどういう意味か。それは古代から中世の哲学においては一般的と言えるものなのか。だとすればカントはどのような批判を行ったのか。この部分はまた別のポストで考えよう。