国家が終わるとき、はじめて人間が始まる

ニーチェの 「ツァラトゥストラはこう言った」を今日少し読んだ。新しい偶像という節で、国家についての内容だった。国家は嘘しか言わない、善も悪も嘘である、とツァラトゥストラは語る。一方で、民族は風習と掟によって善と悪を語るが、隣の民族のそれはわからないとも語られた。国家と民族は別であると言っている。国家が語る「国家=民族」は嘘であり、風習と掟で特徴づけられる民族にとって、国家は災禍である。こういう部分がもしかしたらニーチェが民族主義的に解釈された要因になっているのかもしれない。ツァラトゥストラは国家を軽蔑している。しかし民族を褒めたいわけでもないだろう。

ツァラトゥストラが国家を軽蔑するのは、人間が人間として生きはじめるためだった。

国家が終わるとき、はじめて人間が始まる。それは一度きりの、かけがえのない歌のはじまりであると、ツァラトゥストラは語る。

孤独を通過して、しかも自分自身からも自由になり、幼子となって創造する。それが超人への道である。