《服従の解剖学》についてのノート

《服従の解剖学》についてのノート

権力が個人の内面や身体においてどのように作動しているかという問題は、わたしが立てた新しい独自の問いではない。けれども、同時代にこの問いがどのような現実性を帯びて浮上してくるか?権力がわたしという存在の場においてどのように作動しているか?という問いは、同時代的かつ個人的な文脈において何かしらの独自の意味合いを持つことになるだろうと思う。いつどんな出来事との関係において問われるかによって。そして「他ならないこの身体」において問うことによって。

この偏った意味合いを帯びた問いに対する応答として、わたしが2015年に制作し、2026年に、若干のアップデートを加えて完成させた《Anatomy of Subjection — 服従の解剖学》という作品がある。

この作品はわたしの身体を被写体とした写真を主な要素としていると言えるが、わたしの身体は比喩的な意味で解剖される単なる素材であり、匿名的な身体として操作されている。つまりこの作品ではわたしの身体はわたし自身にとっても他者である身体に変換されている。

2015年は安全保障関連法が成立した年であり、2026年2月には憲法改正を掲げる保守政党が衆議院選挙で圧勝した。このような法のアップデートの流れの中にわたしたちの身体は置かれている。

作品の周囲の文脈は変化する。だから作者は自ら生産した作品であっても、その意味も価値も自らその時に決定することはできない。